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これをやったらライターやカメラマンから嫌われる〜著作者人格権侵害の話

著作者人格権の説明を書いた黒板

うどん屋さんで「これ、味が薄いなぁ」とかいって、店主の目の前でどんぶりの汁にしょう油をドボドボ入れたらどうなるでしょう? あるいは、華道家が生けた花瓶の菊に「ちょっと寂しいので、もう一本」とバラの花を足したらどうでしょう? けんかを売っているようなもんですよね。

ホームページの依頼主や、ホームページ制作や原稿代行といった中間業者のなかにも、同じレベルの失礼をやる人がいます。ライターの書いた文章を無断で書き換えたり、カメラマンが納品した写真のトリミングを勝手にやり直したりするのです。相手のライターやカメラマンが半人前でもない限り、仕事へのモチベーションが一気に下がるのは間違いありません。そればかりか、「著作者人格権の侵害」という立派な法律違反です。

勝手に改変されるとライターやカメラマンはゾッとする

私自身がかかわり、実際にモチベーションが下がった事例をピックアップします。相手を特定させるわけにはいかないので、あいまいな表現になるのはお許しください。

依頼主企業のメディア担当者が「我が社」の話を書き加える

「実はその金属の材料を提供したのは、我が社です。その後、社名もその材料にちなんだものに変わりました」

東証一部上場の製造会社のオウンドメディア(自社で運営するホームページ)で、戦前のある画期的な工業製品について書きました。その記事にその社のメディア担当者が勝手に書き加えた文言です。

記事には、書き手が登場し自分自身の話として書く「一人称もの」と、まったく登場せず客観的な話として書く「三人称もの」があります。たとえば、今お読みいただいている「これをやったらライター・カメラマンから嫌われる〜著作者人格権の話」は一人称ものです。

「ある画期的な工業製品」の記事は典型的な三人称ものでした。そこへの「我が社は」や「私は」はまったくの異物です。たとえていえば、水彩の風景画の中に油絵の具を使い肖像画でも描き入れるようなものです。集中して読んでくれている人がいたとしても、素に戻ってしまいかねません。

素人編集者に「こっちでトリミングします」といわれ???

依頼主や中間業者が勝手に変えてしまって、台無しにするのは文章だけではありません。写真でも同様の経験をしています。

トリミングはまったくの素人がやるものではない

私が横長で納品した写真が掲載されたときには正方形に近くなっていたり、この逆だったりはたまにあります。

なかには縦長で納品した写真を、「やっぱり必要なのは横長でした。私の方でトリミングして横長にしますので、“原画”をメールで送ってください」といってきた原稿代行会社の編集者もいました。

まず、なにか特別な理由がない限り、縦で使う予定のインタビュー写真は縦で撮ります。横も同様です。撮ったあとから縦でも横にでもなるのは、まったく写真の心得がない人特有の話で、構図も何も考えず、周囲をスカスカに撮った証拠です。

また、「トリミング」といっても「構図」といってもいいのですが、どちらであってもルールがあります。「余白は顔が向いている側を広めにとったほうが安定する」「ひじ、ひざ、手首といった関節部分で切らない」などです。職場内の役割分担の都合で「編集者」と名乗っているだけの素人が知るはずはありません。

そのときは、私の方で最初から横写真のつもりで撮ってあったのを出し直しました。もし、編集者に任せていたら、これらのルールはまったくお構い無しでやっていたでしょう。

素人が入れ替えると写真の組み合わせもガタガタになる

別のところのオウンドメディアでは、いったんできあがっていたページで写真が入れ替えられました。

それはある店舗に芸能人が訪問し、商品の説明を受ける記事でした。

記事冒頭の写真はしばしば大きく使われ、「アイキャッチ」とも呼ばれます。その記事のイメージを決め、訪問者を引きつける大事な役割を持っています。

このアイキャッチに、その芸能人を真ん中に店員ら7、8人が勢ぞろいした写真を選びました。しかし、数カ月後に、その芸能人のアップの写真に入れ替わっていました。これでは、記事内容を象徴する光景にはなりません。

ひとつの記事に複数の写真を使うときは、組み合わせも考えています。その時も、技能人の写真は、「アップ」「引き」「中間」をそろえていたうえ、左向き・右向きどちらか一方にならないようにしていました。見る人を飽きさせないために、変化をつけたほうがいいのです。

しかし、それらもガタガタになっていました。

ライター・カメラマンに無断で手を入れるのは法律違反

ホームページ制作や原稿代行といった中間業者であれ、依頼主であれ、同じです。文章や写真に断りもなく手を入れるのは、それらを書いたり撮ったりしたライターやカメラマンに対して失礼になるだけではありません。法律で保証されている「著作者人格権」の侵害です。

著作者人格権は「著作者の精神的利益を守るための権利」と定義づけられていて、「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」の3種類が著作権法で規定されています。

文章や写真に勝手に手を入れるのは、このうちの「同一性保持権」への侵害になります。

第18条(公表権)
著作者は、その著作物でまだ公表されていないもの(その同意を得ないで公表された著作物を含む。以下この条において同じ。)を公衆に提供し、又は提示する権利を有する。当該著作物を原著作物とする二次的著作物についても、同様とする。

第19条(氏名表示権)
著作者は、その著作物の原作品に、又はその著作物の公衆への提供若しくは提示に際し、その実名若しくは変名を著作者名として表示し、又は著作者名を表示しないこととする権利を有する。その著作物を原著作物とする二次的著作物の公衆への提供又は提示に際しての原著作物の著作者名の表示についても、同様とする。

第20条(同一性保持権)
著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/pdf/93293301_01.pdf

著作者人格権を一気に無効化する「行使しない」とは

「これでは困る。やりにくい」と考える中間業者は少なくありません。そこで、ライターやカメラマンとの契約書に一項目加える場合が多いのが、「著作者人格権は行使しない」です。

著作者人格権は中間業者らには邪魔な存在

著作権は多少知っていても、著作者人格権まで知らない中間業者や依頼主は少なくありません。こういった人たちは、「もうお金を払って、文章や写真は自分が著作権をもつようになった。だから勝手に扱っていい」と勘違いもします。

ライターやカメラマンの側から見ると腹立たしい限りなのですが、そういった煩わしさを避けるために、中間業者らが契約書に入れるのが、「著作者人格権は行使しない」のひとことです。

これがあると、自分が書いた文章や撮った写真があとからどう扱われようと、ライターやカメラマンは文句がいえません。「公表権」「氏名表示権」「同一性保持権」のどれも主張できなくなります。

中間業者らがこのような抜け道を作りたくなるのは、財産として扱われる著作権とは違い、著作者人格権は譲ったり譲り受けたりできないのも理由でしょう。文章や写真の著作権が依頼主などに譲り渡されたあとも、著作者人格権はライターやカメラマンにそのまま残るのです。

「著作者人格権をないものにしたり、譲らせたりはできない。だから、『行使しない』で実効性のないものにしてしまおう」というのです。

契約書で「行使しない」としていても、慎重にやる場合も多い

それでも文章や写真はそれを書いたり撮ったりしたライターやカメラマンの人格の一部であることには変わりありません。

ライターらとの良好な関係を築いている依頼主や中間業者の大半は、たとえ契約書で「行使しない」となっていても、手を入れる場合はライターらとは連絡を取り、承諾を取っています。

普通に考えても、それが大人のやり方でしょう。

「行使しない」は無効と考える弁護士もいる

目立つ存在にはなっていませんが、弁護士ら法曹関係者のなかには「契約書で『著作者人格権は行使しない』となっていても、無効」と考える人もいるようです。

私個人も、この「行使しない」はおかしな話だと考えています。というのは、「国は滋賀県の最低賃金を1時間967円としている。しかし、この契約では無効にする」とするようなものです。法律を超える契約はありえません。

おそらくは、まだ十分に論議されていないのだろうと思います。「どこかでもめて、ライターが裁判でも起こさないか。それでライター側が勝訴して判例ができたら、こんな文言を契約書に入れるやつはいなくなるのではないか」。私の希望を込めた予想です。

著作者人格権を尊重しないと、まともなライター・カメラマンは寄り付かない

「著作者人格権は行使しない」の文言があってもなくても、有効であろうが無効であろうが、変わりはありません。もし、素人であるホームページの依頼主から見ても本当にひどい文章や写真ならば、手を入れるよりも、ライターやカメラマンを入れ替えるべきでしょう。

一生懸命やり、日ごろからスキルも磨いているライターやカメラマンは、勝手に手を入れられると深く傷つきます。それは当然でしょう。そういう人ほど、自分が書いた文章や撮った写真を自身の人格の一部と考えていますので。

軽い気持ちで文章や写真に勝手に手に入れると、優秀な人ほどすっといなくなるでしょう。仕事を任せようにも残っているのは、自分の仕事に自信を持っていないライターやカメラマンだけになるのがオチです。

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