小さいながらエピソードの多い白鬚神社 近江最古の神社とも〜滋賀県カメラ散歩
大津市側から国道161号を北上すると。高島市に入ってすぐに白鬚神社が現れます。
国道は湖岸ぎりぎりを通っており、まず目に入るのは60メートル近く先の湖中に建つ鳥居でしょう。よくネットの記事やポスターなどに使われ、約15キロ南の浮御堂と並んで、琵琶湖を象徴する風景として取り上げられています。
実は、それほど大きな神社ではありません。“インスタ映え”するものも鳥居ぐらいです。しかも、その鳥居もだれが撮っても見栄えするようなものではありません。しばしば「がっかりスポット」として名前が挙がります。
とはいえ、能の演目「白鬚」の舞台であり、古代にはおそらく渡来人が住み着きました。特に古代のエピソードが多いスポットです。どちらかといえば観光気分で訪れるには適しておらず、歴史マニアが静かに昔をしのぶ場所でしょう。
目次
古墳地帯に作られた近江最古の神社
「創建は2,000年前」とする話もあるようですが、「よくわからない」が本当のところのようです。
渡来人とのつながりも考えられる
祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)で、全国に約300あるとされる白鬚神社(白髭神社、白髯神社)の総本社です。
「しろひげじんじゃ」と読むか、「しらひげじんじゃ」と迷う人もいるかも知れません。
しかし、司馬遼太郎の『街道をゆく 街道をゆく 1 湖西のみち、甲州街道、長州路ほか』のなかに「白鬚は新羅のことだという説もあって」のフレーズがあるように、「しらぎ」から連想すれば、間違えないでしょう。
「元は、渡来人たちが祭っていた神様ではないか」と考える人もいるようです。
「近江最古の神社」ともいわれています。もしかしたら、「神社」というやり方が始まる前から、神様扱いをされていたり、神聖とされていた場所かもしれません。特に琵琶湖の西岸では、古墳地帯に古い神社の多くが建てられています。日吉大社や小野神社がその例です。
白鬚神社の場合は社殿のすぐ背後だけでも4基の円墳が残っています。そのうちのひとつは社殿も建てられ「岩戸社」として祭られています。
社殿の格子状の扉からなかをのぞくと、目の前が古墳の横穴式の石室です。また、社殿の背後は、かぶせていた土がなくなったのか石室の天井に使われている石がむき出しになっています。
能『白鬚』では、白鬚の神は最初、釈迦に抵抗した
能の演目『白鬚』の舞台としても知られています。そのストーリーは……
時の帝が、白鬚明神から夢のお告げを受けたので、勅使が近江の白鬚明神(白鬚神社)に参拝する。その一行は湖畔で釣りをしている老人と出会い、その老人から白鬚明神の由来を聞く。実はその老人こそ、白鬚明神の仮の姿だった。深夜になって、白鬚明神が勅使の前に本来の姿で現れ舞楽を奏した。やがて、天女や竜神も加わり灯明の明かりで舞を舞った。
……となっています。
また、その「白鬚明神の由来」とは、「仏法を広めるために日本にやってきた釈迦が近江のこの地を譲るようにと白鬚と交渉した。白鬚は最初抵抗したが、最後は受け入れ、仏法に転じた。その結果、白鬚明神として祭られるようになった」としています。
一方、社伝では「垂仁25年に皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が社殿をたてた」のが始まりとしています。
垂仁は11代天皇で、3世紀後半から4世紀前半ころに在位したとされます。実在したかどうかも不確かで、白鬚神社の創建もほとんど神話に近い話と考えていいでしょう。
室町時代にはすでにあった湖中の鳥居
昭和から平成にかけての随筆家・白洲正子もその代表作『近江山河抄』のなかで……
湖水の中の鳥居に、すっぽりはまりこんだ具合に、長命寺の岬が見え、沖の島が霞んでいる。その時私は、妙な気持ちがした。もしかすると、この鳥居は、向こう側を遥拝するために造られたのではないか。いや、そんなはずはない、とすぐに思い返したが、その印象が全然間違っていたとは思えない。
……など、かなりの字数を使って、その印象を書いています。
白洲がわざわざ「そんなはずはない」と書いたのは、「鳥居が湖中にある本来の理由は忘れていない」と知らせるためでしょう。
鳥居が意味するのは、当然、「入り口」です。湖中に「入り口」があるのは、ここへの交通手段は舟だったのを示しています。これは海中に鳥居のある広島の厳島神社も同様です。
鳥居は、室町時代の屏風絵や江戸時代の絵巻にも描かれていて、古くからあったのがわかっています。
しかし、しばらくの間、鳥居はありませんでした。1937年になって今の場所に再建され、現在のものは1937年に建て直されたコンクリート製です。
豊臣秀頼と片桐且元にゆかりのある社殿
現在の本殿1603年の完成です。豊臣秀頼の命で造られました。奉行として工事を仕切ったのは、方広寺鐘銘事件の際に家康のもとに弁明に赴いたことで知られる片桐且元(かたぎりかつもと)でした。
現在、国道161号に面しているのは、この本殿ではなく、拝殿です。本殿はその後ろに接続しています。
明治になって今の拝殿が造られ、その際に、現在の形に改められました。あまり例のない建築様式で、2つ合わせて「権現造りのような外観」と説明される場合があります。「権現造り」とは、東照宮に多く使われたために東照大権現にちなんで名付けられた建築様式です。
現在、本殿部分は重要文化財に指定されています。
鳥居の撮影は小さな展望台から
写真撮影でも撮ろうかと白鬚神社に行く人の一番のお目当てはやはり、湖中の鳥居でしょう。
しかし、境内と湖岸は国道161号が隔てています。無理に渡ろうとする人が跡を絶たず、頻繁に交通事故が置きていまいた。このため、神社や地元警察も厳しく対処せざるをえませんでした。現在は、渡ってもフェンスがはられ、湖岸には下りられません。
代わりに、境内側に「藍湖(おうみ)白鬚台」というごく小さな展望台ができています。
安全に撮れるのはいいのですが、もともと、少し遠目だったのが、道路の幅の分さらに遠くなりました。望遠レンズを用意したほうがいいでしょう。
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