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子どもが書くような文章に書き換えられた〜あるホームページ制作会社との仕事

制作会社が書いてきた文章

「自分のところでコンテンツ(文章・写真)もできる。記事も作成できる」としているホームページ制作会社から、ライターとして受けたときの話です。

数年たち、そのホームページもネット上から消えました。書く気になったのは、そろそろ“時効”のような気がしたのが理由のひとつです。また、契約内容に守秘義務はありませんでした。ただ、相手(ホームページ制作会社)が喜ばない話なのは確かです。特定できない程度にはぼかして書きます。

「ホームページ制作会社のアピールする『コンテンツもできる』がどういったものか」の一例としてお読みいただければ幸いです。

部外者なのに制作会社の社員を名乗らされた

そのホームページ制作会社はスタートが東北地方のある都市で、東京にも拠点を持っていました。「成功している」といっていいでしょう。私が受けた仕事は、ある大手通信会社のホームページ関連です。そのホームページに、子会社である地域会社数社のページがありました。ここにつかう「若手社員紹介」の文章が私の担当でした。

東京や東北から制作会社社員が関西へわざわざ出張

取材相手である子会社は関西のある都市にありました。一部の例外を除いて、取材場所もその社内です。

ホームページ制作会社からは東北の1人、東京の1人が来ました。役割としてはWebプロデューサーとWebディレクターなのだろうと思います。「だろう」としかいえないのは、一般的にもこれらの区別ははっきりしておらず、制作会社ごとにも違うからです。

取材前日に来て下見もしてたようなので、社員らには2泊3日の出張でした。交通費は当然のこと、宿泊費もかかります。「その費用も出すんだから、さすが大手通信会社だ。太っ腹だわ」と思いました。

写真撮影も地元は使わず、東京のフォトグラファーが来た

フォトグラファーも東京から同行していました。小柄な女性で、写真機材の大荷物が見ていて気の毒でした。

名刺と同時に、近く東京で開かれる彼女の個展のパンフレットももらいました。

私自身はかつては新聞社の写真部員で、退社後も仕事として写真は撮っています。しかし、「フォトグラファー」や「写真家」と名乗った経験はありません。「それらは芸術性のある写真を撮る人の名称だ。自分がやっているのあくまで“職人仕事”である」と考えているので、必ず「カメラマン」です。

そのときにもらったパンフからの印象ですが、「彼女らならば、『フォトグラファー』や『写真家』でもいいんかな」

また、「こちらの地元でカメラマンを手配すれば、交通費は安く済み、宿泊代もいらない。にもかかわらず、わざわざ東京から連れてきた。彼女でなければならないだけの写真を撮るのだろう」とも考えました。

あとの話ですが、できあがったホームページの写真を見て考えが変わりました。「仮に彼女がすごいフォトグラファーであったとしても、この制作会社には宝の持ち腐れだった。東京から連れてきたのも、たいした意味はあるまい」

制作会社社員の名刺を持たされ、部外者なのは内緒

「経費を節約する意識がない」以外には、私の名刺を用意してきたのにもびっくりしました。

その名刺では、私はその制作会社の社員になっていました。Webプロデューサーからいわれました。「取材相手にはうちの社員としておいてくれ。絶対に、外注のライターであるのはいわないように」

あくまで「自社内で取材までできる。記事も用意できる」と見せたいようでした。念のためにいえば、こんな経験は後にも先にもありません。

どこから持ってきた? やたら細かい取材スケジュール表

びっくりしたものはまだあります。やたら細かい取材スケジュールを組み、その表を作っていました。

2日間で若手社員4人と中堅社員1人を取材するので、ある程度のスケジュールは決めておく必要はありました。しかし、文字通りに分刻みです。

カメラマンと、ライターである私とは別行動になる部分もしっかりと書き込まれていました。「1日目 訪問 時刻 10:10 場所:エントランス」「時刻 10:10 ロケハン・撮影準備」「取材相手:○○様。時刻 10:30 取材スタート」といった具合です。

エクセルで作られたこのスケジュール表のファイル名は「香盤表」となっていました。「香盤表」とは、映画や舞台の業界用語です。進行状況だけではなく、各シーンごとの登場人物、必要な衣装・小道具などを細かく書いたものを指します。

新聞社写真部員(報道カメラマン)出身の私は、これだけの細かいスケジュール表も初めてなら、「香盤表」の言葉も初めて聞きました。

事前にもらった見本記事は、小中学生の作文レベル

取材の2、3日前にすでに取材して書かれた記事をメールで送ってもらっていました。あれこれ説明を受けるよりも、これが一番早いのです。ほかのライターが担当した記事とで、書き方のトーンをそろえる必要もあります。

一部を抜粋すると……

とにかく覚えることが多く大変な日々でしたが、仲間たちと励まし合い、協力し合って何かを成し遂げる楽しさ、達成感などを経験できましたよ。不安になっていたのは私だけではなかったことも知りました。

……といった調子です。

文章の指導を受けたことがなく、小中学生のレベルで止まっている人にありがちな書き方です。

書かないといけないのは、どう「仲間たちと励まし合い」、どんな「達成感などを経験できたか」です。それらの部分の具体性がないと、読む方は何の感想も持てないし、印象にも残りません。おそらくは「耳障りのいい言葉を並べればOK」としか思っていないのです。

似たような言葉には、「お客様の喜ぶ顔が励みになります」や「社会に貢献するのが我社のモットーです」などがあります。こういったのを、「手垢のついた決まり文句」といいます。

3,000文字ほどのこの見本記事は、誇張ではなく全編この「手垢のついた……」で満たされていました。

制作会社と新聞社では修行期間の長さも、一人前の定義も違う

スケジュールの合間にした、Webディレクターとの雑談の中で、違和感を持った話があります。「最近、○○新聞社から途中入社した人がいるんですけど……3年も新聞記者をやった人って、かなり仕事ができるんでしょうね」

この新聞社はブロック紙でした。全国紙と地方紙の中間的な存在で、「準大手」と言い換えてもいいでしょう。

私のいた全国紙ならば地方勤務2カ所、計5年程度を過ごしてから東京、大阪などの本社に行きます。ブロック紙では地方支局が少ないせいもあって、たいていは地方勤務1カ所です。それでも3年ぐらいはいます。「社会部」だの「政治部」「経済部」などがあるのは本社だけです。この地方支局時代が野球でいうところのファーム(2軍)で、そこにいる記者は早い話がまだ半人前です。

ホームページ制作に興味を持ったのはずっとあとなので、このときは知りませんでした。ホームページ制作の世界では、早ければ3〜6カ月の学習期間で、「Webデザイナー」や「コーダー」などを名乗るのです。

アップされた記事を見て、「取材相手に顔向けできない」

何日もたってから、記事がアップされました。事前の連絡はなく、いきなり本番で見ました。

子どもが書いたような文章に書き換えられた

愕然としました。私の書いた文章が「手垢のついた決まり文句」ばかりに書き直されていました。見本で見た小中学生レベルの文章に変わっていたのです。

情けなくてたまりません。「取材相手にしたら、これを私が書いたと思うだろう。あまりに恥ずかしすぎる。バカにされても仕方ない」

私もうかつでした。制作会社の社員であるふりをしたために、その社への顔出しもできません。「実は社員ではなくて……」と話す羽目になるでしょうから。あまり考えずに承知してしまい、大きな反省として残っています。

写真も勝手にいじられ、ピンぼけなどになった?

同時にカメラマンにも同情しました。「ピンぼけ」「画像データが小さいために不鮮明」「構図がおかしい」といった写真ばかりでしたので。

彼女の写真の正確な腕は知りません。しかし、そんな写真を納品したとは思えません。というのは、いずれも素人以下のレベルになっていましたから。おそらくは、いったんできあがっていた写真を、勝手に一部だけ切り取って使ったのでしょう。「トリミング」とさえ呼べません。

「香盤表」に従ってスケジュールを進めたのも、おそらくは「写真の世界は右も左もわからない」ためでしょう。想像でしかありませんが、撮影の現場で有効なものかどうかもわからないまま、「これだけ詳しければ十分だろう」とどこかで見かけたのを取り入れたのではないでしょうか。そもそも、「香盤表」など取材関係の言葉でもありません。

著作者人格権も知らないらしい

実は、文章も写真もライターやカメラマンに断りもなく、制作会社で手を入れるのは「著作者人格権」の侵害になります。「文章や写真などは作った人の人格の一部であり、第三者は勝手にいじってはいけない。その人人格を損ねる行為である」。やや私なりにかみ砕いた表現にすると、こういった趣旨になります。

もちろん、法律違反です。制作会社ならば日常的に直面する問題なので、知らないのは論外です。しかし、現実にはまったく知らないのも珍しくありません。

放置しました。もう二度と一緒に仕事をする可能性はありません。予備知識さえない相手に、「著作者人格権とはどういうもので……」と説明する労力を考えたらゾッとします。

制作会社への不信がペンタ工房スタートの遠因

そこから何年もたってからですが、ホームページの立案、デザイン、コーディングの勉強を始めました。もともと、コンテンツには自信があります。

「ほかの制作会社も大同小異でしかない。制作会社をはさみ、何人もで分担したところでいいホームページができるとは限らない。いっそのこと、工程の最上流から最下流まで一人でやったほうがいい」と考えたのです。

その勉強も一区切りついたので「ペンタ工房」を名乗ることにしました。そして作った自分のホームページがこの「滋賀県の小さな会社・地元のお店のホームページ制作〜取材・文章執筆・写真撮影もおまかせ〜」です。

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