ニコンのカメラはなぜ何度も『あとから追う』側になったのか――元報道カメラマンが40年を振り返って考え直した

ニコンのカメラはなぜ何度も『あとから追う』側になったのか――元報道カメラマンが40年を振り返って考え直した

私は以前、「私がニコンのカメラをおすすめしないわけ」という記事を書きました。全国紙の写真部員としてニコンを使い、退社後も長く使ってきた経験から書いたものです。

その中で私は、ニコンがオートフォーカス、フルサイズ、ミラーレスと、大きな変化のたびに後手に回ったように見えた理由を「電子技術の差」に求めました。

しかし、改めて調べると、どうも話はそれほど単純ではありません。

では、あれほど強かったニコンは、なぜ何度も「あとから追う」側になったのでしょうか。今回は、昔の自分の記事も疑いながら、約40年見てきたニコンについて改めて考えます。

目次

昔、プロのカメラといえばニコンだった

今ではカメラ売り場に行けば、キヤノン、ソニー、ニコン、富士フイルムなど、さまざまなメーカーの製品が並んでいます。しかし、私が新聞社の写真部にいたころ、報道の現場ではニコンの存在感が圧倒的でした。

「あのころのニコンが、なぜ追う側になったのか」。今回の記事を考える出発点は、そこにあります。

野球場のカメラ席はニコンだらけだった

プロ野球の取材に行くと、カメラ席には大きな望遠レンズがずらりと並びます。当時、私が見ていた範囲では、そのほとんどがニコンでした。キヤノンは、10台に1台あるかどうかという印象です。

雑誌などの世界ではキヤノンを使うカメラマンも多く、「プロなら全員ニコン」というわけではありません。それでも新聞社など報道の世界では、ニコンが非常に強かったのは確かです。

理由の一つとして当時よく聞いたのが、「ニコンは頑丈だ」という評価でした。報道カメラマンは、事件、事故、スポーツなど、撮影条件を選べません。雨の中で使うこともあれば、人混みの中を機材を抱えて動くこともあります。少々乱暴に扱っても仕事を続けられることは、大きな安心材料でした。

私も新聞社に入ったあとにキヤノンからニコンに替えた

私自身は、もともとキヤノンユーザーでした。学生時代に最初に買った一眼レフが「AE-1 Program」で、就職して新聞記者となった後もキヤノンを使っていました。

ところが、地方勤務の取材記者から本社写真部員へ異動したとき、事情が変わります。

写真部の共有機材はほぼニコンでした。いくら規模の大きい全国紙とはいえ、望遠レンズなど高価な機材まで、キヤノン派の部員のために別にそろえる余裕はありません。そのため、私も仕事ではニコンへ替えることになりました。

好き嫌い以前の話です。仕事をするには、ニコンを使うしかありませんでした。

逆にいえば、それだけ新聞社の写真部ではニコンが標準になっていたということです。

あれほど強かったニコンが、なぜ追う側になったのか

しかも当時のニコンには、「新しいものにすぐ飛びつかない」という評価もありました。

新技術をいち早く入れるより、十分に使えることを確かめてから採用する。その慎重さも、失敗の許されない報道の現場では長所と受け止められていました。

ところが、その後のカメラの歴史を振り返ると、見え方が変わってきます。

オートフォーカス、デジタル化、フルサイズ、ミラーレス――。大きな変化が来るたびに、ニコンは他社を追う側に回ったように見える場面がありました。

かつては「慎重だから」と考えていたものは、本当に慎重さだったのでしょうか。

最初に大きな違いが表れたのが、オートフォーカスでした。

オートフォーカスで、ニコンとキヤノンは違う道を選んだ

カメラに詳しくない人のために、最初に簡単に説明しておきます。

オートフォーカスとは、カメラが自動でピントを合わせる仕組みです。今では当たり前ですが、一眼レフに本格的に広がり始めたのは1980年代でした。

その先陣を切ったのは、ニコンでもキヤノンでもありません。1985年に発売されたミノルタ「α-7000」です。世界各国で大ヒットし、各社が本格的なAF一眼レフの開発を急ぐきっかけになりました。キヤノン自身も、α-7000の登場を「カメラ業界をゆり動かす出来事」と振り返っています。

ただし、少なくとも私が見ていた新聞社など報道の現場では、ニコンからミノルタへ一斉に乗り換えるような動きにはなりませんでした。業界全体には大きな影響を与えたものの、報道の現場でニコンの地位を大きく揺さぶった相手として、私が実感したのはキヤノンでした。

ちなみにミノルタは、その後コニカと統合してコニカミノルタとなり、2006年にカメラ事業から撤退しました。デジタル一眼レフ関連の一部資産やαマウントの技術基盤はソニーへ引き継がれ、現在のソニー「α」へとつながっていきます。

キヤノンは古い規格を捨て、ニコンはできるだけ残した

実は、ニコンも早い段階からレンズの中にモーターを入れる方式を試していました。1983年発売の「F3AF」では、専用レンズにモーターを内蔵しています。

しかし、1986年に発売した「F-501」では、モーターをカメラ本体に置き、その力をレンズへ伝える方式を採用しました。ニコン自身の資料によると、レンズ内モーター方式も検討したものの、レンズが大型化し、価格も上がることなどから見送りました。そのうえで、それまでのFマウントを引き継いでいます。

一方のキヤノンは1987年、「EOS 650」を発売します。

こちらは、それまでのFDマウントをやめ、新しいEFマウントへ切り替えました。カメラとレンズの間のやり取りを電子化し、ピント合わせ用のモーターもレンズ側に置きます。キヤノン自身が後に、マウントの切り替えを「もう一つ別の会社を作ってカメラを作り始めるようなもの」に匹敵する大きな賭けだったと振り返っています。

つまり、単純に「キヤノンにはレンズ内モーターを作る技術があり、ニコンにはなかった」という話ではありません。

ニコンにも、その技術はありました。

違ったのは、どの方式をこれからの主力にするかでした。

ニコンは「変えなかった」のか、それとも「変えにくかった」のか

ここで、ニコンには難しい事情もあったのではないかと私は考えています。

当時のニコンには、長年Fマウントを使い、高価な交換レンズを何本もそろえてきたプロやハイアマチュアが大勢いました。とくに報道やスポーツのカメラマンなら、ボディーよりはるかに高価な望遠レンズを何本も持っていることも珍しくありません。

ニコンがFマウントを残せば、そうしたレンズ資産を生かしやすい。一方、キヤノンがEOSへ切り替えたときは、それまでのFDレンズを新しいEOSボディーへそのまま取り付けることはできなくなりました。

既存ユーザーから見れば、ニコンのやり方にも大きな利点があります。

ですから私は、ニコンが単に「古い方式にしがみついた」とは考えていません。強いプロ・ハイアマ層を抱え、長年のレンズ資産を生かせることがニコンの強みだったからこそ、大きく規格を変えることには難しさもあったのではないでしょうか。

ただ、技術が大きく変わるとき、それまでの強みが逆に足かせになることもあります。

キヤノンは過去との互換性をかなり捨てて、新しいAFシステムへ一気に移りました。ニコンは過去をできるだけ引き継ぎながら、新しい時代へ進もうとしました。

この違いは、その後の両社を見るうえでも気になります。

デジタル一眼レフでは早かったニコンが、次の転換点では追う側になった

オートフォーカスだけなら、「あのときは方式の選択が違った」で済むかもしれません。

しかし、その後もカメラの大きな転換点で、ニコンより先に動いたメーカーがありました。

ただし、ここで一つ整理しておく必要があります。

ニコンは、デジタル一眼レフそのものへの対応が遅かったわけではありません。むしろ最初の段階では、かなり早く動いたメーカーでした。

デジタル一眼レフは、いきなり35mmフィルムと同じ大きさの「フルサイズ」から始まったわけではありません。初期には、それより小さいAPS-C級の撮像素子を使う機種が中心でした。

ソニー、キヤノン、ニコンの流れを大まかに並べると、違いが見えやすくなります。

カメラの段階ソニーキヤノンニコン
APS-C級デジタル一眼レフα100(2006年)EOS D30(2000年)D1(1999年)
フルサイズデジタル一眼レフα900(2008年)EOS-1Ds(2002年)D3(2007年)
APS-CミラーレスNEX-3/NEX-5(2010年)EOS M(2012年)Z50(2019年)※
フルサイズミラーレスα7/α7R(2013年)EOS R(2018年)Z7/Z6(2018年)

※ニコンは2011年に「Nikon 1 J1」「Nikon 1 V1」でミラーレスに参入しています。ただし、撮像素子はAPS-Cより小さいCXフォーマットでした。なお、デジタル一眼レフの欄は、この流れを見るための代表的な初期モデルを並べたものです。

APS-C級デジタル一眼レフでは、ニコンはむしろ早かった

ニコンは1999年に「D1」を発売しています。

撮像素子は35mmフィルムより小さい23.7×15.6mmでしたが、当時としてはプロが実用に使える本格的なデジタル一眼レフでした。

私がいたような報道の世界にとっても、フィルムからデジタルへ移っていく時期を象徴するカメラの一つです。

キヤノンの「EOS D30」は2000年。ソニーがαブランドでデジタル一眼レフ「α100」を発売したのは2006年です。

少なくとも、この段階だけを見れば「ニコンは新しい時代への対応が遅いメーカーだった」とはいえません。

むしろ、デジタル一眼レフでは早い側にいました。

ところがフルサイズでは、キヤノンが先行した

次に起きたのが、撮像素子を35mmフィルムとほぼ同じ大きさにする「フルサイズ化」です。

キヤノンは2002年に、35mmフルサイズの撮像素子を搭載した「EOS-1Ds」を発売しました。

ニコンがFXフォーマット、つまりフルサイズの「D3」を発売したのは2007年です。

約5年の差があります。

ソニーのフルサイズデジタル一眼レフ「α900」は、その翌年の2008年でした。

つまり、この段階ではキヤノンが明確に先行し、ニコンは追う側になりました。

もちろん、早く出せばそれでよいわけではありません。十分な画質や耐久性、連写性能などを確保してから製品化するという考え方もあります。

それでも、APS-C級デジタル一眼レフでは早い段階からプロ市場を押さえていたニコンが、その次のフルサイズ化ではキヤノンに約5年先を行かれた。この変化は無視できません。

ミラーレスでは、ニコンは遅かったというより別の道を選んだ

ミラーレスになると、話はもう少し複雑です。

ソニーは2010年にAPS-Cサイズの撮像素子を搭載した「NEX-3」「NEX-5」を発売しました。

ニコンも翌2011年には「Nikon 1 J1」「Nikon 1 V1」でミラーレスに参入しています。

ですから、「ニコンはミラーレスへの参入そのものが極端に遅かった」という説明は正確ではありません。

ただし、ニコンが選んだのはAPS-Cよりさらに小さい「CXフォーマット」でした。

キヤノンは2012年にAPS-Cの「EOS M」を投入します。

ソニーとキヤノンがAPS-Cを選ぶ一方で、ニコンはより小型化しやすいCXフォーマットを選んだわけです。

この時点では、「どの会社が早かったか」だけでなく、どの大きさの撮像素子を選び、どの市場を狙ったのかを見る必要があります。

フルサイズミラーレスでは、ソニーが約5年先行した

さらに大きな転換点になったのが、フルサイズミラーレスです。

ソニーは2013年に「α7」「α7R」を発売しました。

35mmフルサイズの撮像素子を積みながら、一眼レフのミラーボックスをなくしたレンズ交換式カメラです。

ニコンが新しいZマウントを採用したフルサイズミラーレス「Z7」「Z6」を発表したのは2018年8月23日でした。

キヤノンも同年9月5日に、新しいRFマウントの「EOS R」を発表しています。

ここで重要なのは、ニコンだけが遅かったわけではないことです。

フルサイズ一眼レフではキヤノンがニコンより約5年早く動きましたが、フルサイズミラーレスでは事情が違います。

ソニーが約5年前に先行し、一眼レフ市場の二強だったニコンとキヤノンが2018年になって、ほぼ同じ時期に本格参入しました。

「ニコンはいつも遅い」では説明できない

こうして並べてみると、話は単純ではありません。

APS-C級デジタル一眼レフでは、ニコンはむしろ早かった。

ミラーレスそのものにも2011年には参入していました。

一方で、フルサイズ一眼レフではキヤノンに先行され、フルサイズミラーレスではソニーが約5年前に市場へ入りました。

AF、フルサイズ、ミラーレス。

それぞれ事情は違います。

ですから、「ニコンはいつも判断が遅いメーカーだった」とまとめてしまうのも正確ではありません。

むしろ私が気になるのは、早く動けた時代もあったニコンが、大きな転換点になると、他社とは違う方向を選んだり、次の段階へ移るタイミングで後から追う形になったりしていることです。

技術がなかったからなのでしょうか。

私は以前、そこに「電子技術の差」があるのではないかと考えていました。

しかし、改めて調べてみると、その説明も成り立ちませんでした。

カメラの電子化で後れたのは、ニコンに「電子技術」がなかったからではない

ここまで書いてきたような経緯を見て、以前の私は一つの理由を考えました。

「ニコンは光学には強い。しかし、カメラが電子化すると、キヤノンなど電子機器にも強い会社との差が出るのではないか」

以前の記事では、タイトルにまで「電子部品の勝負でキヤノンに連戦連敗」と入れました。

しかし今回、改めてニコンの歴史を調べ直して、この説明は改める必要があると思うようになりました。

私は「電子技術の蓄積が少ない」と考えていた

私がそう考えた理由は単純です。

キヤノンはカメラだけではなく、複写機やプリンターなども大きな事業に育ててきました。一方、ニコンといえば、私の中ではカメラやレンズなど光学機器の会社というイメージが強くありました。

そのため、カメラの中身が機械から電子機器へ変わるほど、会社全体で蓄えてきた電子技術の差が出たのではないか――そう考えたわけです。

ところが、ニコンには、この説明では無視できないほど大きな別の事業がありました。

半導体露光装置です。

半導体を作る機械では、ニコンは世界トップに立ったこともある

半導体露光装置とは、シリコンウエハーの上に光を使って極めて細かな回路パターンを転写する機械です。

難しく考える必要はありません。半導体を作るために必要な、ものすごく精密な機械です。

ニコンは1976年にその開発を始め、1980年には国産初の商用ステッパー「NSR-1010G」を出荷しています。その後も改良を続け、世界市場で大きなシェアを持つまでになりました。ニコン自身の資料では、2003年の世界シェアは約46%。ArFと呼ばれる当時の先端機種では50%を超え、世界首位でした。

これは、私が以前考えていた「電子技術の蓄積が乏しかった」という説明とは、どうも合いません。

半導体露光装置はレンズだけで作れるものではありません。高精度で動くステージ、光を電気信号に変えるセンサー、それらを正確に動かす制御技術などが必要です。ニコン自身も、最初のステッパー開発でこうした技術を組み合わせたと説明しています。

少なくとも、「ニコンは電子技術に弱い会社だったから、カメラの電子化についていけなかった」と片づけることはできません。

それでも、半導体露光装置でもトップの座を守れなかった

ただし、ここでも気になることがあります。

ニコンが強かった半導体露光装置の世界で、1990年代後半から急速に伸びてきたのがオランダのASMLでした。

1995年にはニコンの世界シェアが45%、ASMLは14%程度でした。ところがASMLは急速にシェアを伸ばし、2002年前半にはニコンを抜いて世界首位になりました。その後、ニコンが一時的に首位を取り戻した時期もありますが、最先端分野ではASMLが主導権を握るようになります。

現在、最先端半導体に欠かせないEUV露光装置を製造しているのはASMLだけです。

ここまで調べると、私が最初に考えた問題とは違うものが見えてきます。

ニコンには技術がなかったわけではありません。

むしろ、世界トップに立つほどの技術を持っていました。

それなのに、カメラでも半導体露光装置でも、大きな変化の中で主導権を失う場面があったのです。

技術力ではなく、「勝負どころでの判断」が問題だったのではないか

ここから先は、確認できる事実そのものではなく、それらを見てきた私の考えです。

「いいものを作る力」と「次を読む力」は同じではない

ものすごく優れた製品を作れることと、「次に何が主流になるのか」を早く見抜くことは、同じ能力ではありません。

カメラでいえば、AFをどうするのか。フルサイズへいつ移るのか。ミラーレスをどこまで本気でやるのか。

技術そのものを持っていても、どの技術に、いつ大きく賭けるかで結果は変わります。

もちろん、後から結果だけを見て「あのとき、こうすればよかった」と書くのは簡単です。ニコンがその時点で置かれていた事情も、それぞれ違います。

AFでは、長年のFマウントと膨大なレンズ資産を持つユーザーがいました。フルサイズやミラーレスにも、それぞれ当時なりの事情があったはずです。

ですから私は、「ニコンの経営陣は判断力がなかった」とまで単純化するつもりはありません。

ただ、約40年にわたってカメラを見てきた一人としては、別の疑問が残ります。

ニコンの弱点は、技術そのものではなく、大きな変化が来たときに「いつ、どちらへ賭けるか」を決めるところにあったのではないか。

そう考えると、これまで別々に見えていた出来事が、少し違って見えてきます。

そして、この疑問をさらに強くするような例は、カメラにも、カメラ以外の事業にもあります。

カメラでも経営でも、「タイミング」が気になる例はまだある

ここまでの話だけなら、「昔のカメラメーカーには、そういう時代もあった」で終わらせることもできます。

しかし、ニコンを見ていると、その後にも「なぜ、このタイミングだったのだろう」と考えさせられる出来事があります。

発表したのに、一台も発売されなかった「DLシリーズ」

その一つが、2016年に発表された高級コンパクトカメラ「DLシリーズ」です。

ニコンは「DL18-50」「DL24-85」「DL24-500」の3機種を一気に発表しました。当初は2016年6月に発売する予定でしたが、画像処理用ICの不具合が見つかり、発売を延期します。

結局、翌2017年には3機種とも発売中止になりました。

ニコンが公式に挙げた理由は、開発費の増加と、コンパクトカメラ市場の減速によって販売見込みが下がったことでした。つまり、発表までした3機種が、一台も市場に出ないまま消えたことになります。

ここでも、「発売中止という判断そのものが間違っていた」と簡単にはいえません。当時はスマートフォンの普及でコンパクトカメラ市場が急速に縮小していました。しかも、製品には実際に不具合がありました。

ただ、少なくとも製品を発表した時点では、ニコンはこの市場に勝負をかけようとしていたはずです。それが発売延期の間に市場環境まで変わり、結局は撤退することになりました。

さらに2026年になって、DLシリーズに似たコンパクトカメラをニコンが再び検討しているとの情報まで出ています。

ただし、これは現時点では未確認の噂です。情報を伝えたサイト自身も、別の情報源では確認できておらず、誤っている可能性があるとしています。

ですから、「DLが復活する」と書くことはできません。

それでも、もし本当に似た製品が約10年後に登場するのであれば、私はやはり考えてしまいます。

2016年に予定通り出せていたら、どうなっていただろう。

カメラの外でも、大きな投資で巨額の損失を出した

最近では、もっと大きな例もあります。

ニコンは成長分野を求め、金属3Dプリンター事業を強化しました。その中心となったのが、ドイツのSLM Solutionsです。

ところが2026年3月期、ニコンはこの事業について将来計画を見直しました。金属3Dプリンター市場の成長率が想定より低くなったことや、中国メーカーの台頭などで競争が激しくなったことを理由に、SLM Solutionsの買収に関係するのれんなどを中心として約906億円の減損損失を計上しています。

ニコン全体でも2026年3月期は約861億円の最終赤字になりました。

これだけを見ると、「また大きな判断を外した」と書きたくなります。

しかし、ここでも話は単純ではありません。

ニコンは3Dプリンター事業から撤退するわけではありません。2026~2030年度の新しい中期経営計画でも、大型金属3Dプリンターを重点分野の一つにしています。半導体露光装置も同じく、今後資金を投入する成長分野に位置づけています。

つまり、現時点では「失敗して終わった」と評価することもできません。

ただし、ニコン自身が前の中期経営計画について、取り組みを広げすぎた結果、強みを十分に磨けず、収益の安定や拡大につなげられなかったという趣旨の反省を示していることは気になります。

これは、ここまで私がカメラについて感じてきた疑問とも、どこか重なります。

すべてを同じ原因で説明することはできない

もちろん、オートフォーカスと半導体露光装置と3Dプリンターでは、製品も市場もまったく違います。

DLシリーズの発売中止とも事情は違います。

ですから、

「ニコンには昔から同じ経営上の欠点があり、それですべて失敗した」

などと結論づけることはできません。

それでは、以前の私が「電子技術が弱いから」と単純化したのと同じことになってしまいます。

ただ、私には共通して見えるものがあります。

技術そのものより、「次に何が大きくなるのか」「いつ本気でそこへ移るのか」を決めるところで、ニコンは何度も難しい判断を迫られてきたのではないか。

そして、その結果を私はカメラでも何度か見てきました。

現在のニコンのカメラが悪いから、すすめないのではない

ここまで書くと、「では、今のニコンのカメラはダメなのか」と受け取る人もいるでしょう。

私は、そう考えているわけではありません。

Zシリーズそのものの性能とは別の話

現在のZシリーズには、評価の高い機種がいくつもあります。

この記事は、現在のZシリーズそのものを低く評価するものではありません。

カメラ1台の出来と、そのメーカーを長い目で見て信頼できるかどうかは、私の中では別の話です。

参考までに、直近で確認できる2024年の国内ミラーレス市場の販売台数シェアを見ると、次のようになります。

2024年の国内ミラーレス一眼メーカー別販売台数シェア。ソニー35.8%、キヤノン26.0%、ニコン14.5%、その他23.7%
2024年の国内ミラーレス一眼メーカー別販売台数シェア。ソニー35.8%、キヤノン26.0%、ニコン14.5%、その他23.7%

私はニコン全盛期を知っています。

新聞社の写真部で実際にニコンを使い、退社後も長くニコンを使ってきました。

だからこそ、AF、フルサイズ、ミラーレスと、カメラが大きく変わるたびに「また追う側になったのか」と感じてきました。

昔とは違う理由で、私は今もニコンを見ている

以前の記事で私は、その理由を「電子技術の差」に求めました。

今回調べ直して、この説明は改めます。

ニコンは電子技術に乏しい会社ではありませんでした。むしろ半導体露光装置では世界トップに立つほどの技術力を持っていました。

ですから、私が今ニコンを見るときに気になるのは、技術力そのものではありません。

優れた技術を持ちながら、大きな変化が来たときに、その技術をどこへ向け、いつ勝負するのか。

そこです。

もちろん、これも私が約40年間ニコンを見てきたうえでの考えであって、証明された「ニコンという会社の性質」ではありません。

それでも、昔の自分の記事を読み返し、改めて調べてもなお残った疑問があります。

ニコンには、いいカメラを作る力はある。では、次のカメラの時代を先に作る力はどうなのか。

現在の私は、その問いがあるために、ニコンのカメラを人に積極的にはすすめていません。

主な参考資料

この記事では、私自身の経験とは別に、カメラやニコンの事業に関する事実関係を確認するため、主に各メーカーの公式資料を参照しました。

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